ドラゴン(龍)の末裔であるベトナム人との交流会!
昨日の午後大田区内で、ベトナム建国記念日祝賀交流会に来賓として荒木紫帆東京代表と共に出席した。所謂南ベトナムの方々の集まりだ。
ベトナム戦争中及び戦後にベトナム共産党から迫害を受け、昭和46年から日本に難民として亡命してきた方々だ。
参加している子供たちは日本で生まれ日本で育ち日本の中に解け込んでいる。昨日の集会でベトナム人としてのアイデンティティを大切に、民族精神を忘れないように伝統を受け継いでいるのだろう。
主催は、
在日ベトナム人共同体
ベトナム建国記念日祝賀交流会実行委員長グエン・フォン・カイン
もちろん名前は出ていないが、ベトタンも協力していただろう。
内容は、
ベトナム伝統の先祖礼拝式
開会式典
開催委員長のあいさつ
来賓のことば
祝賀パーティー
ベトナム舞踊など
鈴木信行は来賓として挨拶させていただいた。
他には難民救済団体の方々や区議会議員や宗教団体の皆さんだ。
レセプションではベトナムの歌を歌い、日本の子供も一緒に民族舞踊を披露してくれた。
子供たちは日本育ちだけあって、日本人と間違えるような流暢な日本語を話す。
歌や踊りと先祖礼拝などに取り組むことによって、ベトナム人としての精神を忘れずにいるのだろう。
ベトナム難民は国を追われ祖国に帰れない。帰れば迫害が予想される存在だ。政治的には現行のベトナム共産党とは対立関係だ。つまり在日本ベトナム大使館とは相容れない関係だ。
昨日もベトナム共産党政府の公安が会場に紛れ込んでいた。
和やかな祝賀会の中にあっても、彼らの中には異国でしかも祖国から追われるという緊張感があるのだ。
因みにベトナム建国記念日とは、ベトナムの雄王国父記念日である。
旧暦の3月10日は「フンヴォン(雄王)の命日」で、雄王というのはベトナム史上初の国家とされる文郎国の支配者のことである。
式典の祭壇に龍の額や絵があるのは、ベトナム人はドラゴンの末裔とされているからである。
悲話をふたつ。
昨日の話しではなく、以前ベトナムの祝賀会で聞いた話を下記に掲載したい。
ここに集っているベトナム人は難民として日本に来た人たちだ。祖国を思いながらも帰国出来ない人たちである。
長い年月が過ぎると辛い思いでも話せるようになるものだ。話すには年月が必要だ。
ベトナムを出るときに幅2メートル長さ9メートルの船に100人乗船し、船の上に蓋をして出航した。赤ん坊が泣くと北ベトナム兵に見つかり殺されるから致死量の劇薬を飲ませて赤ちゃんを眠らせたそうだ。
子供が「何故赤ちゃんが死ぬと分かっていて薬を飲ませたの」との問いに母は、「1人の命よりも99人の命の方が大事だから」と答えたそうだ。そこまで追い込まれていたのだ。
現在の平和な状況の日本での価値観では責められない追い詰めら得た上での判断である。
昨年のお話しだがもう一度紹介したい。
ベトナムの親子の悲しいお話があった。
言語の壁があり正確には覚えてないがだいたいは以下の内容だ。
母親が子供に「学校も行かせてあげたでしょう。他の家と同じように必要なものは買ってあげたでしょう。お前の結婚式もお金をかけてしてあげるけど、これが最後のプレゼントだよ。二つ目の腎臓を中国人に売るからもう売る臓器がない。お別れだよ」との話だ。
子供に教育を与え育てるのに、臓器を売って貧困からの脱出を図った。こういう話をお祝いの席上で話すのを、ためらう御仁もいただろう。だが日本人にベトナムの実情を教えるには必要なことだと思う。
共産党が経済の改革開放を主導すれば、赤い貴族と一般庶民の格差は拡大するのは支那(中国)を見ればわかるというものだ。
(公式ブログより)