竹島の日から竹島の碑へ‐ソウルの慰安婦像に竹島の碑を縛る‐
「竹島の日」に始まった「竹島の碑」建立運動
平成二十四六月十九日、私は在大韓民国日本国大使館前の追軍売春婦(慰安婦)像に「竹島の碑」を縛り付け、その生中継動画をインターネットで配信した。
この日は、我が長崎県対馬の領有権を主張すべく韓国の慶尚南道馬山市が定めた「対馬島の日」に当たる。この動画は韓国世論を激高させ、我が国のマスコミも報道しているが、その真相を知って頂きたいと思う。
平成二十三年十二月十四日、元売春婦らの訪日に合わせて、国内の反日左翼らが東京・霞ヶ関の外務省を「人間の鎖」と称して取り囲んだ。その日、私は外務省前門前に潜んでいたが、正午直前に警官隊に神輿のように担がれて道路反対側へと排除されてしまった。「人間の鎖」は外務省を一周して繋がり、日を同じくして、ソウルの日本大使館前には追軍売春婦像が設置されたのだ。
歴史事実に反する追軍売春婦の強制連行を象徴する銅像を、それも日本大使館前に設置するなど、前代未聞の恥知らずな暴挙と言わねばならない。このような韓国へのカウンターパンチの第一撃として、島根県が制定した二月二十二日「竹島の日」に合わせて、東京都港区議会に「韓国大使館前に竹島の碑を建立する請願」を提出した。先に《在日特権を許さない市民の会》(在特会)が、港区役所に対して韓国大使館前に「竹島の碑」の建立を申し込んでいたが、外務省からの要請により港区役所に断られていた―いつも中央官庁の指導に地方自治体が素直に従うならば、沖縄の基地問題も即解決するはずだろうに。
そこで、港区の住民である不二歌道会の福永武代表に依頼して、赤坂大輔港区議の紹介議員とする請願を港区議会事務局に提出したのである。請願には議員個人の署名が必要なのだが、赤坂区議の所属会派であるはず港区自民党議員団(赤坂区議を除く十名)の議員らから「署名したら除名」との圧力を受け、署名を断念。結果的に請願を取り下げる形となり、紹介議員なしの住民による陳情となった。韓国大使館前に「竹島の碑」を建立する件が潰されてしまった。領土を侵略され国家主権が侵害されているにもかかわらず、「港区日韓友好議員連盟」とは笑止千万だ。戦後日本の事なかれ主義が、どれだけ国益を損ねて来たか。
明けて三月になると、港区麻布にある韓国大使館領事部(民団本部)前の路上の植え込みに、何者かの手によって「竹島の碑」が建立された。この碑は民団職員が勝手に撤去したと韓国で報道されたが、この民団職員の行為は刑法二五四条の占有離脱物横領罪を構成し、「一年以下の懲役または十万円以下の罰金もしくは科料」に問われる。韓国ではともかく、日本では誰の物か分からない他人の物を勝手に取ると泥棒になるのだ。
この「竹島の碑」建立が韓国においてニュースとなり、その後も誰の仕業か分からないけれども、日本全国の韓国関連施設付近や反日施設付近に「竹島の碑」が生えてくる事件が続出(六月末現在で二十本近く)したのだ。
そこで、私は、ことの発端となった在大韓民国日本国大使館前の追軍売春婦像の付近に「竹島の碑」を建立する、ないしは碑を売春婦像に縛り付けることを考えたのである。渡韓直前、米国ニュージャージー州に続いてニューヨーク州にも「売春婦の碑」が建立され、反撃の必要性は高まっていた。
ソウルに旅立つ
六月十八日の午後、私とカメラマンの山本和幸君は、三本の「竹島の碑」を携え、ソウルの金浦空港に降り立った。空港から直接地下鉄に乗り、五月に開館したばかりの売春婦博物館(戦争と女性人権博物館)に向かう。ソウル市内でありながら分かりにくい場所にあり、三度もタクシーを乗り換えて何とか辿り着いたが、休館日だったので中を見ることはできなかった。
入口付近にいた私たちに気付いた職員が出て来たので「竹島の碑」を玄関口に突き刺すことは断念したけれども、職員らが中に去った後に博物館の外壁沿いの道路に一本目の「竹島の碑」を建立した。この「竹島の碑」には、日韓両国語で「竹島は日本の領土」と書いてある。最大のターゲットは日本大使館前の売春婦像なので、無理は禁物だ。
その後、翌日の下見のために日本大使館に向ったのだが、奇妙なことに無許可設置物である売春婦像を二人の警官が警備しており、その日は売春婦像に触ることも写真撮影も出来ずにホテルへと引き上げた。
私と山本君は、夜のソウル市内に繰り出し腹ごしらえしつつ、先ほど見た韓国側の警備体制を日本の維新政党新風本部で待機する金友隆幸君らに伝えた。あの様子を考慮すると、売春婦像に近づき「竹島の碑」を贈呈するシーンを生中継で日本に配信するまでには相当の混乱を覚悟しなければならない。
少し酒も入り、高揚感を味わっていた時に日本にいる金友君から電話が入った。インターネット動画生中継の有料放送枠を予約していたにもかかわらず、予約枠が削除されているという。一瞬で酔いが醒めた。明日、もし韓国警察に拘束された場合、ビデオカメラのデータは没収されるだろう。日本に生中継で配信しない限り、韓国人が屈辱と思う画像を流すことはできない。データを日本に送信できなければ、この計画は失敗だ。
ホテルに戻り、事態を正確に把握した上で金友君らと打ち合わせた結果、七時三十分の直前に「某所から緊急放送」という題名を告知して仲間やネットの視聴者らに検索して探してもらうことで決着し、急いで関係先に連絡してもらう。なお、帰国後に業者からメンテナンスのために削除したので返金したいとの一方的なメールがあった。韓国を責める時には不可解な出来事があるものだ。
売春婦像に「竹島の碑」を贈呈する
翌日十九日の午前七時三十分、打ち合わせ通り、私と山本君は、日本大使館の道路向かい側にある富士通ビルの横から売春婦像の前に覚悟を決めて出て行った。意外なことに、早朝のためか売春婦像を警備する警官が居ない。内心では呆気にとられながらも、私たちは像に二本目の「竹島の碑」を立て掛けて動画を撮影し、日本大使館に同じ「竹島の碑」を渡しに行った。大使館員に行動の趣旨を説明したが、碑の受け取りは拒否された。
最後に、もう一度像の前に戻り、警察官によって取り除けられていた「竹島の碑」を売春婦像に縛り付けた。放送終了間近になると、機動隊のバスが売春婦像を塞ぎ、大勢の警官隊が大勢行進してきた。ノートを持った私服警官も駆けつけてきたものの、外国人が苦手なのか、すぐには対応してこないのを良いことに、私たちは約三十分間やり放題の生中継を終了し、売春婦像の前から立ち去ることにした。すると、日本大使館警備の警官が追いかけてきて、「竹島の碑」を返して寄越すではないか。これには驚いた。
この一連の行動が韓国メディアによって報じられた結果、韓国国内では大きな怒りが沸き起こっただけではなく、反日の声が大いに高まった。とりわけ、碑を売春婦像に縛りつけた場面が韓国側の怒りを掻き立てたという。この結果、反日世論に押された韓国政府は、日韓軍事情報協定締結の土壇場で署名式を延期するという外交欠礼を犯し、その権威を失墜させた。
日本大使館前からソウル駅を経て金浦空港に向かう途中、地下鉄の金浦空港駅で大きなショーケースに入った竹島の模型を発見し、その前で「竹島の碑」を袋から取り出して記念撮影をした。その時、私たちを見ていた通り掛かりの韓国人青年が「竹島の碑」を奪い取って振り回し、「イルボン?」などと言っている。日本人かと聞いていると思い、「イルボン・・・返せ」と言い返したら、ますます激怒して襲いかかってきた。二対一でこちらが間合いを詰めて行くと、人だかりができたこともあり、暴漢は碑を投げ捨て去って行った。私たちも第二第三の暴漢から袋叩きになると面倒なので、「竹島の碑」を袋に詰めて空港ターミナルへと急いだ。
台風が接近する中、西日本の各空港は閉鎖されていたが、帰りの飛行機は何とか羽田空港に着陸、待機していた皆さんの出迎えを受けた。韓国世論の激高ぶりから見て、あと一日韓国に滞在していたら、帰国はできなかっただろう。自分の悪運の強さに感謝した。
政府がやらねば、私たちがやる!
日本大使館前に無許可で設置された追軍売春婦像は、日本に対する最大の侮辱であり、即刻撤去されなければならない。私たちが黙っていれば、先人がいわれなき売春婦の強制連行などという歴史事実に反する不名誉を被ることになる。日本政府が大使召還、大使館撤退など強硬な対抗措置を講じないのであれば、日本の名誉のために国民が行動するまでだ。
平成二十三年八月、自民党の新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の各国会議員と下條正男拓殖大学教授らを中心とする韓国鬱陵島調査訪問団に、私は民間人別働隊として韓国に入国し、三人の議員と下條教授らの入国拒否騒動を韓国の国内から見た。その時、歴史事実に反する韓国のデマゴーグを崩すには、韓国の国民性を逆手に取り、世論を激高させて墓穴を掘らせることが有効だと気付いたのである。竹島は韓国の施政権下に置かれているが、日本が領有権を主張している限り紛争地域であり、韓国は実効支配しているとは言えない。三人の国会議員と学者の入国を拒否したがために、却って韓国は竹島が紛争地域であることを世界に発信してしまったのだ。
何故、私が売春婦像に「竹島の碑」を縛り付けたのか。両者は決して無関係ではない。追軍売春婦問題は韓国の日本攻略の一つのアイテムに過ぎないのだ。韓国が偽りの売春婦問題を持ち出すのは、偏に竹島領有権問題で日本を黙らせるためであり、目的は竹島だ。その領土問題で韓国は明らかにロシアと支那と連携している。韓国と妥協すれば、北方領土(南樺太及び全千島列島)と尖閣諸島を巡る中露両大国の出方にも影響するのだ。
帰国して数週間後の七月四日、韓国内で元売春婦らが私を告訴し、一千人に及ぶ支援者が連名となって告発してきた。私の入国拒否も韓国政府に要請したという。
七月九日早朝に、在韓国日本大使館に韓国人男性がトラックで突入した。追軍売春婦像に「竹島の碑」縛り付けたことに腹を立てたために犯行に及んだとのことだ。外国公館前に売春婦像を建てることが、世界の非常識であることが分からないのだろう。男の行動は韓国の恥を世界に宣伝し、事なかれ主義でやられっ放しの日本政府の無様な姿が日本国民の前に晒された。これこそ私が意図するところである。
ソウルに行って追軍売春婦像を破壊すべきとの無責任な発言もあるが、無許可設置物は韓国政府の手で、韓国人の罵声の中で撤去されることを望むのだ。私と山本君が七月十日に韓国入国禁止措置を受けた後にも、八月二十二日に村田春樹氏と桜井達郎氏が韓国に乗り込み、韓国内の北朝鮮派の拠点である売春婦博物館(戦争と女性人権博物館)と政府系対日工作機関である東北アジア歴史財団に「竹島の碑」を打ち込み、有言実行の私たちの行動に韓国人は驚愕し、彼ら二人も入国禁止措置にした。
「竹島の碑」は党員や支援者によって日本全国各地に打ち込まれ続けている。石川県金沢市の韓国人テロリスト尹奉吉慰霊碑前ほか、日本国内だけではなく、タイ王国韓国領事館、米国ニューヨーク韓国総領事館、韓国が推進している国家戦略であるディスカウントジャパン政策により全米に建立されようとしている「日本軍によって拉致された二十万人以上の性奴隷碑」がある米国ニュージャージー州パリセイズパーク市にも「竹島の碑」が打ち込まれた。
十二月の韓国大統領選挙では、文在寅候補陣営が維新政党新風を非難する記者会見を行ない、朴槿恵候補が党声明を発信し維新政党新風を非難した。戦っている相手国の大統領選挙候補者の両陣営から非難されるとは名誉なことである。私たちの戦いに間違いはなかった。竹島を侵略している韓国から称賛され勲章を貰う政治家こそ、日本で非難されるべきであろう。
平成二十五年二月十七日に、韓国ソウル中央検察が私を売春婦像(ソウル市)と尹奉吉慰霊碑(石川県金沢市)への名誉毀損容疑で起訴を決定した。無法国家韓国の刑事裁判は欠席裁判でもお構いなしで、しかも司法権は世界に及ぶらしい。その反撃というわけではないが、島根県が制定した竹島の日前日の二月二十一日、私と党員らが松江地方検察庁に対して、韓国次期大統領(当時)である朴槿恵を出入国管理及び難民認定法違反(平成十七年十月五日の竹島不法上陸)容疑で告発した。朴槿恵だけではない。韓国人のビザなし入国を規制し、島根県竹島に不法入国した芸能人の入国を禁止しなければならない。また、日本の最先端技術への韓国人の接触には罰則を設けて規制すべきである。日本が支那・韓国に呑み込まれてからでは遅い。韓国との戦いはこれからなのだ。
大東亜戦争における犠牲の上に築かれた今日の日本。先人が守り抜いた日本の山河と国の名誉のためにも、私たちは戦わなければならない。政府が韓国と戦わないのならば、私たち維新政党新風が国政に参戦して戦う所存だ。韓国から竹島を奪い返し、日本の名誉を回復する日まで、この戦いは続けなければならない。国民の手で「竹島の碑」を世界中に建立し、日本国民の強い意志を韓国に伝えなければならないのだ。
(公式ブログより)